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救急・集中治療科

 

救急・集中治療科

センター長挨拶

皆様こんにちは。 私は1996年、当院に救急・集中治療科が開設されて以来、救急・集中治療の領域を担当して参りました北村伸哉と申します。われわれの科は多発外傷,中毒,急性臓器不全,心肺停止をはじめとする重症患者様や担当科が多岐にわたる患者様の初療を担当するとともに, これらに引き続く集中治療をICUにて行って参りました。

今後も昼夜、市民の健康を守ってくださっている医師会の皆様方の最後の砦として、そして、災害時における地域災害拠点病院として、地元の救急救命士をはじめとする救急隊員の教育・研修に取り組むメディカル・コントロールの拠点としてがんばって行きたいと思っております。また、大怪我や重症の病気についてセカンドオピニオンをお求めの方、治療に難渋している医師会の皆様方、われわれの仕事に興味を持ち、見学を希望する学生・研修医やお力を貸していただける医師の方々はどうぞ遠慮なく、ご連絡下さい。お待ち申しております。

君津中央病院医務局長、医務局救命救急センター長、医務局医師事務作業補助管理室長 北村伸哉

施設紹介

千葉県内には14の救命救急センターがあり、その一つである当院は病床数660床、うち救急部門としてICU(集中治療室)11床、CCU(冠疾患集中治療室)6床、HCU(高度治療室)16床を擁する併設型救命救急センターです。その中核となりICUを管轄、院外救急患者だけでなく、院内の重症患者、大手術後の患者まで診療範囲としているのがわれわれ救急・集中治療科です。
現在のスタッフは日本救急医学会指導医1人を含む救急科専門医5人、救急科専門医をめざす専攻医2名であり、この他、外科学会専門医、総合内科医専門医および日本集中治療医学会専門医・外傷専門医などの資格も有している critical care physician です。われわれはこのように救急医療と集中治療をcritical careとしてとらえ、迫り来る救命困難な病態に果敢に挑んできました。脳血管障害や虚血性心疾患など明らかに担当科が判明している患者については各診療科が中心となり救急診療を行い、多発外傷、中毒、心肺停止、多臓器不全などの重症病態や担当科が多岐に渡る場合にはわれわれ、救急・集中治療科が初期治療を担当するとともに、院内各科との連携を密にしつつ初期治療に引き続く集中治療も行っています。このようなシステムは併設型救命センターの典型であり、そのメリットをフルに生かした綿密な診療を心がけています。また、日本スポーツ協会公認スポーツドクターを有する医師1名はTOKYO2020のFOP救護員として大会救護に関わりました。

救急・集中治療科の歩み

君津中央病院は人口約33万人を擁する富津,君津,木更津,袖ヶ浦各市自治体が経営する南総唯一の国保直営総合病院です。

その設立は日本に初めて国民健康保険が生まれた昭和13年にまで遡ります。 当時はまだ、医療費が各医院・病院でまちまちであり、この新たな保険制度を導入し、住民に統一された安価な医療費で医療を提供しようというのが当院設立の趣旨でありました。"愛の君津病院"と親しまれ、戦火をくぐり、50年あまり地域に密着した医療を提供し続けた当院が大きな事件に直面したのは昭和50年6月に発生した"たらい回し事件"でした。当地域の救急医療体制は昭和40年にはすでに"自宅待機日曜当番医制"を中心に歩み始めており、県内では高い評価を受けておりましたが、当地域の臨海工業地帯造成計画に伴い、産業構造の変化と人口の急増が起こり、住民の救急医療に対する要望に応えきれなくなってきました。そこで、昭和49年8月、行政機関、医療機関、住民代表、学識経験者により君津郡市地域医療協議会が設立され、救急医療体制の整備について活発な活動が開始されました。事件はそのやさきの出来事でした。
この事件は31歳の男性が当院近くの国道上で交通事故に遭い、事故発生後、2時間以上にわたり、25軒もの病院に診療を断られ、40kmあまり離れた国立病院にて翌朝死亡したというものでした。診療依頼をされた医療機関のなかに当時、救急告示病院であった当院も入っていたことから、患者の親族が原告となり、国・県そして当院を相手取って千葉地裁に訴訟をおこしました。このため、あらためて救急医療体制のあり方を見直す気運が高まり、二度とこのような悲惨な事が起きぬよう対策が話し合われました。

その対応は早く、昭和50年9月1日には夜間急病診療所が誕生。同時に輪番待機制二次病院の活動が自発的に開始されました。さらに昭和58年4月,当院に救急管理棟が増築され、救命救急センターの指定を受け、内科・外科・小児科・脳神経外科・産婦人科(平成5年4月からは新生児科も当直を開始)が24時間常駐するに至り当地域の一次?三次の救急体制が確立されたのです。しかし、傷病の多様化、医療の高度化に伴い、各科対応の三次救急診療では担当科の負担が大きくなり、また,多発外傷や中毒、熱傷、多臓器不全などの重症病態に対しては十分な対応が難しくなってきました。そこで、救急体制の見直しとICUの整備のために、千葉大学医学部救急医学教室(現千葉大学大学院医学研究院救急集中治療医学)に救急および集中治療の専門医派遣を依頼、平成8年4月、救急・集中治療科の診療が開始されました。なお、翌年3月にはシネアンギオ室も完成、循環器内科による虚血性心疾患の24時間対応も可能となりました。

診察内容 臨床

救急・集中治療科開設時、診療担当を決めるにあたり、幾度となく会議が行われました。当初の病院側の思惑は救急外来の整理、今でいうER運営にあったようです。しかし、現場の意見は一般救急と特殊救急(脳卒中、ACS)は当直する7系統(外科系、内科系、小児科、産婦人科、新生児科、中枢神経系、循環器系)が引き受けるので、彼らが難渋する重症病態や担当科が多岐にわたる場合に対応してほしい、というものでした。このため、全国ではER型全盛の中、3次救急患者を中心に外来からICUまで一貫して診療を継続する旧いタイプの救急医が救命救急センターの中核を担っています。ただし、外傷に関しては旧病院時代からER方式を採用し、肘内障から多発外傷まで重軽傷を問わず、初診から担当しております。ICUにおける重症患者に対して“細胞レベルでの蘇生”を中心に始まった当科でありましたが、時代のニーズに対応するために、地域救急医療体制、病院前救護、メディカルコントロール体制の確立や災害医療と守備範囲をマクロの世界へ拡大、さらに2009年1月19日にはドクターヘリ事業実施病院に指定され、担当領域も君津郡市から千葉県へと広がることになりました。それ以来、病院外へ出かけていく医療活動が活発化し、病院で待っていることしか知らなかったわれわれにとっては大きなパラダイムシフトでありました。このほか、東日本大震災、関東・東北豪雨にDMATを派遣、令和元年15号台風ではDMAT活動拠点本部として被災医療施設の救難に重要な役割を果たしました。

新病院に移転してはや20年目を迎えました。救急患者は年間10000名とやや減少傾向にありますが、救急車搬入数は5660台とその割合は増加傾向です。このうち1400名あまりの救急患者を当科が担当していますが、その約半数は外傷患者です。当院は日本外傷学会外傷専門医研修施設に認定されていますが、この専門施設の数は千葉県内には5箇所、全国でも110箇所しかありません。今後も年間400回出動の君津ドクターヘリとあわせて南房総の要として機能していきます。
ICU/CCU入室患者は年間約500名。循環器科、心臓血管外科が担当するCCUが300名、脳神経外科が担当するICU症例が100名、残りの最重症100名を当科が担当します。これらは発外傷を含む重症外傷、敗血症ショックや消化管穿孔、重症急性膵炎等の汎発性腹膜炎を含む重篤な腹部救急疾患です。これらに対してCHDF(持続的血液濾過透析)を中心とする血液浄化法や人工呼吸, ECMO等の人工補助装置を用いて綿密な集中治療を行っています。新型コロナウイルスパンデミック禍ではECMO導入5例を含む7例のCOVID-19の治療を行いました。

教育

急性心筋梗塞の約半分は病着までに命を落とすと言われますが、そのほとんどが致死的不整脈(心室細動/無脈性心室頻拍;VF/pulseness VT)と考えられます。これらに対する最も有効な対処法は電気的除細動ですが、平成15 年度からは救急救命士が、次いで一般の救急隊員や一般市民に対してその使用が自分の判断で施行できるようになりました。これにより、従来、救命できなかった致死的不整脈による院外心肺停止患者の救命率改善が劇的に改善されました。このように院外心肺停止患者の蘇生においては発見した市民と現場の救急隊の役割は大きく、病院前救護(プレホスピタルケア)の充実こそが地域の致死的な病態による死亡率を減少させると考えます。このような観点より当院では千葉県消防学校救急科の実施研修や救急救命士の就業前および養成前病院研修を受け入れ、就業後も定期的に研修を行うほか、当院での症例検討会や病院前外傷救護(JPTEC)のプロバイダーコースや蘇生トレーニングコース(ICLS)、多数傷病者への医療対応標準化トレーニングコース(MCLS)の開催を通じて、当院・当科との連携を強め、救急隊のレベルアップを図ってきました。地元の救急救命士をはじめとする救急隊員の教育・研修に取り組み、彼らの抱える様々な不安や問題点にこたえるのもこの地域を管轄する救命センターである当院・当科の役目です。

当院には毎週水曜日に千葉大学医学部から臨床実習に来る学生だけでなく、夏休みや冬休みを利用して自主的に実習を希望した学生・研修医もおとずれます。皆、短い期間の中で、様々な事例に触れ、できるだけ多くのことを吸収しようとする意欲に溢れています。もっとも新しい研修医制度が始まり、できるだけ多くの経験をできる病院、自分にあった働きやすい病院を探す必要性が生じたためでもありますが、その数は160名を超え、北は北海道、南は沖縄から全国各地の医学部から集まりました。当院も少しは知名度が上がったのかもしれません。これからももっと多くの学生に見学、受験していただけるような環境を提供し、いつでも、どこでも、どんな病気でも診ることができる、診なければならない、という医療の原点=救急医学に興味を持っていただける学生・研修医を増やしたいと思います。


2023年5月17日 定期更新実施